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三八会:長瀞舟下り

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2014年12月 7日(日)23時47分28秒
返信・引用
  2010/6/3
 童心に返ったような爺さんたちの顔・顔・顔・・・。

http://8516.teacup.com/asako360711/bbs

 

新年のご挨拶

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2014年 1月 1日(水)16時39分4秒
返信・引用
  新春を寿ぎ謹んでお祝い申し上げます。
本年もよろしくお願い致します。
皆さんの益々のご健勝をお祈り致します。


当掲示板は2009年8月に開設致しましたが、
その内容は昭和32年(1957年)11月の上京以前の、私がまだ船瀬姓を名乗っていた頃のものが殆どです。
昨年10月の岳陽蛍雪同窓会の折、出席された10人余の方に初めてご案内しましたが、
それ以外のどなたにもお知らせしておりません。
今年は当掲示板に掲載の多くの方々に御覧頂くべくご案内申し上げますので、
往時を偲んで戴ければ幸いです。
併せて、皆さんの投稿をお待ちしております。

http://8516.teacup.com/asako360711/bbs

http://8516.teacup.com/asako360711/bbs

 

ちょっとひとこと

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2013年11月16日(土)14時10分0秒
返信・引用
  写真をクリックすると、画像を拡大して御覧になれます。  

関東岳陽蛍雪同窓会

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2013年10月18日(金)11時15分30秒
返信・引用
  九州等遠方より参加された方も数名あり、合計21名。
齢(よわい)平均80歳? 皆さんお元気そう何より。
幹事の大梅さん、恵本さん、ご苦労様でした。
9月29日、八重洲富士屋ホテルにて。
 

田川高校定時制

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2013年10月 3日(木)16時49分37秒
返信・引用
  赤村の寺田先生宅。大挙して押しかけました。  

関東岳陽蛍雪同窓会

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2013年10月 2日(水)13時52分59秒
返信・引用
  「みんな百まで生きる顔をしちょるばい」
9月29日、八重洲富士屋ホテルにて。
 

関東岳陽蛍雪同窓会

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2013年10月 2日(水)13時46分57秒
返信・引用
  「東京オリンピックが楽しみだね」
9月29日、八重洲富士屋ホテルにて。
 

関東岳陽蛍雪同窓会

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2013年10月 2日(水)13時41分24秒
返信・引用
  「私たちだって若いよねぇ」
9月29日、八重洲富士屋ホテルにて。
 

関東岳陽蛍雪同窓会

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2013年10月 2日(水)13時35分9秒
返信・引用
  「今も乙女よねぇ、Tさん」
9月29日、八重洲富士屋ホテルにて。
 

関東岳陽蛍雪同窓会

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2013年10月 2日(水)13時28分31秒
返信・引用
  往年の若人たち。
9月29日、八重洲富士屋ホテルにて。
 

田川高校定時制

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2013年10月 1日(火)11時07分44秒
返信・引用
  森本先生を囲んで、一年生の時。  

田川高校定時制

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2013年10月 1日(火)11時02分1秒
返信・引用
  ピクニック  

田川高校定時制

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2013年10月 1日(火)10時54分11秒
返信・引用
  あなたのアルバムを紐解く切っ掛けになれば幸いです。  

ちょっとひとこと

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2013年10月 1日(火)07時36分57秒
返信・引用
  写真をクリックすると、画像を拡大して御覧になれます。  

関東岳陽蛍雪同窓会

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2013年10月 1日(火)07時26分56秒
返信・引用
   9月29日~30日の2日間、大梅・恵本両幹事のご尽力のもと今年度の同窓会が行われ、20名の方が参加されました。初日の八重洲富士屋ホテルのパーティーはカラオケで大いに盛り上がり、2日目はスカイツリーの展望台から大パノラマを満喫しました。

 私事ですが、93年以来20年ぶりに懐かしい方々とお会い出来、楽しいひと時を過ごさせて頂いた事を感謝申し上げます。皆さんが若々しいのには感心致しました。

 写真はスカイツリーの5階で記念に撮ったものです。3名のご夫人がスカイツリー見学に新規参加されました。  
 

実父とその家族

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2013年 2月 4日(月)03時09分55秒
返信・引用
  (左から)静江(憲司の母)、憲司(下の弟)、富蔵


父・杉山富蔵と母・麻子は私がまだ胎内に居た頃離別したので、
私が富蔵を実の父と知ったのは中学一年の時であり、
それまでは、船瀬延次郎を実の父と思っていた。
その後、富蔵は私に会いたがっていたが、母の手前、私が応じなかった。
富蔵が私を訪ねて来て親しく言葉を交わすようになったのは
私の長男が生まれてからである。
私には三人の異母姉弟が居るが、私の子供が初孫であるから私たち親子の顔を見たかったのだろう。
 

新年のご挨拶

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2013年 1月 2日(水)02時06分47秒
返信・引用
   謹んで新春のご祝辞を申し上げます。  
 皆様のご健勝を祈念し、
  幸多き年でありますようお祈りいたします。

 当掲示板はどなたでも書き込むことが出来ます。
 当掲示板は2008年8月に開設しましたが、早く公開せねばと思いつつ、
 これまでどなたにも公開していませんでした。
 理由は開設直後からの私の体調不良、肝性脳症による入院(2011/04ー06)が
 最たる理由です。
 当欄には、昭和10年~40年の間の画像を多く掲載してあり、
 今後も載せていく所存です。
 一人でも多くの方が近況等を投稿頂ければ幸いです。
 

廃虚と化した我が家

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年10月17日(水)15時12分18秒
返信・引用
  私がまだ一歳か二歳の昭和十三年(1938)頃から同二十四年(中学一年)の秋まで私が住んでいた家。
古河鉱山は昭和三十年代に廃鉱となったが、僅かながら当時の面影が残っている。
 

鎮西中学④

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 6月23日(土)00時55分42秒
返信・引用
  伊田魚町の同窓会風景
(上段左から)高園・上原・林田・宮崎
(下段左より)古庄・佐々木(信)・佐々木(み)・高橋
 

鎮西中学③

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 6月13日(水)00時53分47秒
返信・引用
  前掲の写真と同じ日のようだが、どこの水辺だろう?  

鎮西中学②

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 6月13日(水)00時38分38秒
返信・引用
  <前列左から>坂上・船瀬・柴田先生
<後列左から>越賀・岸本・小林・阿部・石橋

場所は不明。御存知の方は教えてください。
 

鎮西中学①

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 6月13日(水)00時23分32秒
返信・引用
  <前列左から>越賀・博田・浜田・高橋・松本
<後列左から>柏木・林田・船瀬・加島・小林・山本・植木
 

拡大写真

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 6月12日(火)23時35分20秒
返信・引用
  当掲示板は横幅に制約があり、
大勢の人が横に並んでいる場合 顔が判りにくくなります。
そこで、5/16投稿の画像を分割して再度掲載します。


名前は50音順で、写真の配列とは異なります。

秋山、有久、植木、上原、岡部、小川、甲斐、加島、柏木、岸本、
越賀、小林、作、高橋、博田、長谷尾、浜田、林田、船瀬、松井、
松川、松本、万狩、水本、宮崎、山口、山本(男子27名)。

阿部、池尻、石井、石橋、植木、上田、大原、大渡、岡村、釜木、
酒井、坂上、佐々木(信)、佐々木(み)、篠田、 末永、菅原、高園、二反田、平木、
二重谷、古庄、村上(女子23名)。
 

『HISTORY OF TIROL』⑦

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 6月 8日(金)16時40分57秒
返信・引用
  62頁に、私が入社する前のものと思われる写真があります。
<前列右より>西山専務、喜宣副社長、喜四郎社長
<後列右より3人目>石井常務、<同5人目>中村さん(肩書き不詳)。
いずれも肩書きは、昭和27年4月以降のものです。
 

『HISTORY OF TIROL』⑥

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 6月 8日(金)15時49分19秒
返信・引用
  西原愛太郎さん(最下段左から4人目)。詳しいことは『HISTORY OF TIROL』①(6/6投稿)に書かせて頂きました。一昨年(2010年)4月、13年ぶりに帰郷した折お会いしましたが、60年の歳月を感じさせない若々しさに感心しました。住まいが弟の家の斜向かいというのも便利ですね。  

『HISTORY OF TIROL』⑤

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 6月 8日(金)15時33分19秒
返信・引用
  写真の右下に“2003年8月31日現在”とありますが、懐かしい方の顔もありました。

先ずは、昨年の夏に亡くなられた松尾喜宣会長。干支で私より一回り上の大正生まれと記憶しています。まだ定時制高校に通う小僧だった私を自宅に招いて、よく将棋の相手をして下さった。
また、昭和38年(1963)に4年遅れで大学を出て、松原の炭住街に住んでいた私を「会社に戻ってこないか」と社長(当時)自ら訪ねて来られたのには恐縮しました。立派な車が古びた炭住街に停まっているのを見て、近所の人たちが「何ごとだろう?」と驚いていた日が懐かしく想い出されます。
帰郷の折、何度か本宅をお訪ねして、体が不自由になられた後もお会いしました。

次いで、利彦社長。まだ4・5歳位だったと思いますが、日の出町の通りを元気に走り回っていた姿を鮮明に覚えています。
その後、お会いしていないのは残念ですが、いずれの日かお会いできるでしょう。
かって私が勤務していた頃の松尾製菓は九州一円が販売圏でしたが、今は全国に販売網を持つほどの企業に育てあげ、陣頭指揮を執っておられる由。誇らしい気がします。

私の弟・吉田博文(下から3段目左から5人目)も写っています。
この写真の当時は53歳位でしょうが、それにしては額が総合グラウンドの様に広い。14歳も私より若いのに。
吉田茂が首相の時代に生まれたので伊藤博文の名を取って命名したのですが、これは私の一生の不覚でした。
 

『HISTORY OF TIROL』④

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 6月 8日(金)11時03分23秒
返信・引用
  島田さん(最上段で片手を挙げている人)、
中村さん(その右で両手を広げている人)。
島田さんは中津支店長時代、一年間寝食を共にしてお世話をして下さった。
中村さんは商事部(当時はそう呼んでいた)の責任者として、
四年余に亘り面倒を見て下さり、一時期、自宅にも寄宿させて頂いた。
 

『HISTORY OF TIROL』③

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 6月 8日(金)10時34分25秒
返信・引用
  優しかったおじさん(名前を失念)と船瀬(私)?
マツダのオート三輪の助手席に座って、中津支店によく行った。
 

『HISTORY OF TIROL』②

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 6月 8日(金)09時49分24秒
返信・引用
  昭和10年と言えば私たちが生まれた頃。
その頃の香春岳は人の手の加わらない完全な姿だった(上段)。
私が物心付いた頃は一の岳が削られ始めていたが、鎮西中学時代には前面の上部が削られて達磨のようになっていた。
岩を砕くダイナマイトの音も英彦山川流域まで響いていた。
そして今、麓から見ると恰も台地のようだ(下段)。
『青春の門』を書いた五木寛之は、果たしてこんな無残な姿を想像していただろうか。
 

『HISTORY OF TIROL』①

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 6月 6日(水)23時50分36秒
返信・引用
  先ずは、11頁の西原愛太郎さん(ヨッチャン)。
彼は私と同年・同期だが、体格がよく色白で陽気な性格ときていたから羨ましいほど女性にモテた。
そして、免許を取るのも早かった。
 

日の出町の想い出

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 6月 6日(水)23時37分4秒
返信・引用
 
私が松尾商事(株)に在籍していたのは、
“1952年(昭和27年)4月~1957年(同32年)10月”の
日の出町時代、今からおよそ60年前の事です。
『HISTORY OF TIROL』を見ていくと、懐かしい方々の顔が沢山ありました。
以下、ページを追って想い出の記を書いて参ります。
ご覧の皆さんも是非、ご投稿ください。
また、私がお名前を失念している方のお名前や、掲載の方々の消息をお知らせ頂ければ幸いです。

http://8405.teacup.com/360711/bbs

 

zz

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 6月 1日(金)09時51分19秒
返信・引用
  yyyyy  

jjj

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 5月30日(水)18時39分24秒
返信・引用
  mmm
 

c

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 5月29日(火)16時07分53秒
返信・引用
  dd  

今は鬼籍に

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 5月23日(水)02時08分4秒
返信・引用
  3列目・左から2人目の黒い服の女性が愚妻の母・石井一恵。
昭和37年(1962)7月1日の写真ゆえ当時50歳。
先日の5月12日に99歳と7か月で他界。合掌。
 

懐かしの我が家

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 5月22日(火)14時46分12秒
返信・引用
  2010/04/23横浜から帰省した折、撮影。
母が昭和12年(1937)に、まだ1歳の私を連れて船瀬の父に嫁いだのがこの家。
前稿に記述の如く大峰1坑通りにあり、夫婦で飲食店を営む傍ら父は自転車で伊田・日出町の
松尾製菓から菓子を仕入れ、それを菓子店に卸していた。
母と私が、伊田の母の実家に戻った24年(1949)まで親子・父方の祖母の6人が暮らしていた家である。
今は家から見下ろす土手下の引っ込み線もその向こうの選炭機も無い。
近所の風景は下段の写真のように建て替えられて往時を偲ぶよすがも無いが、
佐賀に住んでいたオーナーが今も所有しているのか。
私の13年ぶりの訪問を待ってくれていたように思えて嬉しかった。
 

妹の雛祭り

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 5月22日(火)14時33分5秒
返信・引用
  私が1歳の頃より住んでいた大任村大峰一坑通りの家にて。
写真は左から、正憲(3歳)、安子(0歳)、亀石家の長女(名前は失念)、次女・悦子。
今も存命なら優にお二人とも八十歳は超えている筈。
お姉さんは穏やかで、悦子さんは活発なお嬢さんだった。
今年の同人誌『カルネヴァーレ』11号の『捜し求めて』に登場する
綾部悦子、亀石明美の名前はこの妹さんに由来する。
安子が8か月位の頃の雛祭りの日とすれば、昭和15年(1940)3月3日辺りが撮影日。
この家は亀石家の物で、佐賀から時々訪ねて来ていた。
ご両親がどんな方だったか記憶に無いが、写真の姉妹の上にハンサムなお兄さんが1人居た。
安子は2005年に他界したので、もはや当時を知る人は私の周囲には居ない。
 

3年3組の同窓会

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 5月20日(日)22時48分40秒
返信・引用
  鎮西中学の同期の桜、宮崎、林田、上原、高園(右から)。
昭和39年(1964)、東京オリンピックが行われる数か月前と思われる。
場所は伊田の魚町。中学卒業後9年が過ぎた頃とすれば、皆の年齢は28歳か。
当日の写真は沢山あるので、順次掲載する予定。乞うご期待。
 

最晩年の父

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 5月20日(日)11時23分4秒
返信・引用
  父・延次郎。私を1歳の頃から中学1年まで育ててくれた人。
母が実家に戻り、私も母の許に戻るよう父に言われて実の親でないと初めて知ったのは昭和24年(1949)の秋。私は伊田へ、長女の安子はそのまま父の許に残り、まだ4歳だった次女は叔父に伴われて千葉へ去った。
この辺りの事は、私の自伝小説『全てを捨てた女』に詳しい。
私が大学を出て田川に戻ったのが昭和38年(1963)4月、父が他界したのが翌年の2月。
この写真と前掲(2009/8/29掲載)のものは、従って昭和38年の春に撮ったものと思われる。
 

こんなに美人だったか

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 5月20日(日)11時15分52秒
返信・引用
  私と3歳違いの妹の安子。昭和14年(1939)生まれ。
写真の背景から推し量ると、父・延次郎が住んでいた添田の家の前か。
延次郎が他界したのが昭和39年(1964)2月、当時の安子は24歳。
父は後藤寺の病院に暫く入院後亡くなったので、この写真は20歳頃のものと思われる。
母と私が去った時、まだ小学校4年生(10歳)だった彼女は独り延次郎の傍で身体の不自由な父の面倒を見る日々に、高校すら行けず孝行の限りを尽くした。
15才で准看護婦見習いとして働き始め、折々、父の許に帰っていた頃の写真か。
彼女は晩年、毎年正月に大阪から電話をくれていたが、最後の時は自ら病状を告げ私は仰天した。私と同じ病名ながら、いくら勧めても彼女はインターヘロンを拒んだことが悔やまれる。
看護婦という職業柄、その知識が邪魔をしたとしか私には思えない。
平成17年(2005)、66歳の若さで鬼籍に入る。
 

nnnnn

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 5月20日(日)08時51分26秒
返信・引用
  bbbbb
 

田川に帰った或る日

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 5月17日(木)18時19分21秒
返信・引用
  (写真左より)吉田正憲(私)・柴田先生・華菜恵(弟の次女)・孝枝(妻)・譲二(弟の長男)・吉田博文(弟)
        1989年9月15日、古賀町の柴田先生宅前にて
 

今は鬼籍に

 投稿者:吉田 正憲  投稿日:2012年 5月17日(木)00時05分20秒
返信・引用
  3列目左から2人目が、去る5月12日に99歳と7か月で他界した石井一恵の若き日の姿。  

3年3組

 投稿者:吉田 正憲  投稿日:2012年 5月16日(水)23時48分2秒
返信・引用
  写真の下段に「鎮西中学校卒業記念 1952.3.18」とあります。
私は今でも、3年3組の50名全員の名前を読み上げることが出来ます。
試しに書いてみましょうか。

秋山、有久、植木、上原、岡部、小川、甲斐、加島、柏木、岸本、越賀、小林、作、高橋、博田、長谷尾、浜田、林田、船瀬、松井、松川、松本、万狩、水本、宮崎、山口、山本、(男子27名)。
阿部、池尻、石井、石橋、植木、上田、大原、大渡、岡村、釜木、酒井、坂上、佐々木(信)、佐々木(み)、篠田、末永、菅原、高園、二反田、平木、二重谷、古庄、村上、(女子23名)。

若くして逝った人、近年他界した人など年々寂しくなりますね
 

花嫁姿

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 5月12日(土)23時17分15秒
返信・引用
  (前列)花嫁次子を挟んで父寅勝、母あさ、
(後列左より)兄正憲、姉奈緒美、姉安子、弟浩一。
 

いかなる縁か

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 5月12日(土)10時18分9秒
返信・引用
  私の自伝小説「全てを捨てた女」を読まれた方はお分かりと思いますが、
その中に写真の石井孝枝と私の出会いから結婚までが短く書いてあります。
鎮中3年3組の頃は互いに意識しなかった仲だった事は事実です。
昭和29年4月24日、田川市西区大藪で撮った物とか。
 

若き日の雄姿

 投稿者:船瀬正憲  投稿日:2012年 5月12日(土)09時53分40秒
返信・引用
  3年前(2009)、多くの友人に遺言を残して逝った小林(小野)徳治。
昭和29年3月17日、平尾台にてとある(石井孝枝=愚妻:所有)。
定時制の私も、東京岳陽会にはよく参加した。鎮中・添田中の仲間が大勢いたから。
その日の2次会では浜田幸蔵(2006他界)らとカラオケを歌い、騒いだものだ。
その席で北海道から九州まで出席しなかった級友に電話を掛けまくったのが小林。
「俺も俺も」と受話器を奪い合うようにした日が懐かしい。
 

新春のご挨拶

 投稿者:吉田 正憲  投稿日:2012年 1月 9日(月)17時02分2秒
返信・引用
  謹賀新年

当掲示板はまだどなたにも公開されていません。
内容を充実して、親族並びに私の旧姓(船瀬)をご存知の方々に閲覧いただきたいと思います。
昭和八十七年(2012年)の今年も皆さんにとって佳い年でありますよう、お祈りいたします。
 

わが一句

 投稿者:吉田 正憲  投稿日:2011年 7月 3日(日)12時40分16秒
返信・引用
  倅にも 敬語を使う 病める身は 11-02-18  

年始のご挨拶

 投稿者:吉田 正憲  投稿日:2011年 1月 6日(木)18時50分39秒
返信・引用
  明けまして おめでとう ございます。

昨2010年4月、13年ぶりに帰郷いたしました。
その折、お会い出来た方出来なかった方、
田川を離れた直後にお亡くなりになった方等
懐かしさと侘びしさの交錯した旅でした。
その他のことは追い追い書いてまいります。
皆様にとって今年も佳い年でありますようお祈り申し上げます。
 

恵子と正憲

 投稿者:吉田 正憲  投稿日:2009年 9月 5日(土)16時15分4秒
返信・引用
  昭和三十年頃か? 場所は不明。
 

静子叔母

 投稿者:吉田 正憲  投稿日:2009年 9月 2日(水)21時44分33秒
返信・引用
  三日前に何年かぶりに安蘇に電話をかけた。長い呼び鈴の後「安蘇さんですか?」を繰り返すと「替わります」と弱弱しい老人の一言の後、受話器が切れた。その直後、博文にかけると「数か月前に恵子に偶然会った時『口だけは達者』と言っていた」と。
昨夜、再度電話をして驚いた。恵子が出て「母は胃潰瘍で入退院を繰り返し、一昨日も退院の直後だった」と。考えてみれば叔母に電話をしたのは安子の死去を知らせた時以来だから五年ぶりか。母麻子の兄弟姉妹で存命しているのは静子叔母だけ。恵子は「最近少しおかしい」とボケが始まったかのような口ぶり。直接話をしたかったが遠慮した。さらに長生きして欲しいと願う。
八十九歳の今「九人の兄弟姉妹中、一番長生きした」と当人は言っているそうで、“祖母シメキは八十まで生きた”と思っていたら「八十六まで生きたのでは?」と恵子。パソコン印刷物を確認してみると彼女の言う通りで、明治十一年(1978)に生まれ昭和三十八年(1963)に私が大学を出て松原に住んでいた時、満八十五歳で他界している。
「敬史の七回忌も一昨年済ませた」というから、もう七年半になるか。今生きていれば今月二十二日に六十五才の誕生日を迎えた筈だ。
叔母へ電話の主旨は“母麻子の兄弟姉妹は十一人だったか十三人だったか”を聞く事にあったが、自ずと分かった。長子と言われていた玄彰伯父の前にも「二人産んだ」と祖母シメキが言っていたので、それでも十一人の筈だが、十三人に拘る自分に混乱していたのだ。
毎年のように“今年は九州に行こう”と思いつつ気軽に走れなくなった昨今。今年は逢いに行かねばと思う。
 

長寿国日本

 投稿者:吉田 正憲  投稿日:2009年 8月30日(日)20時07分32秒
返信・引用
  わが国の男性は平均寿命が79歳で世界第4位、女性は86歳で第1位とか。戦中戦後に幼少期を過ごした我々は食べる物にも窮した時代があるが、温床育ちの今の多くの若者に比べればある意味で幸せな世代だったかも知れない。
雑踏を歩きながら携帯に夢中で他人の迷惑などどこ吹く風のマナーの悪さ、自転車で歩道を疾走する横暴さ、「仕事が無い」と言いつつきつい汚い危険のいわゆる3Kを避けようとする忍耐力の無さ等々。
次なる半世紀は根性の無い彼らにとっては反省期かもしれないと思うのだが・・・。
 

静子叔母と彰子と私

 投稿者:吉田 正憲  投稿日:2009年 8月30日(日)12時37分2秒
返信・引用
  静子叔母には弟の末吉と妹の淑子が居たが、終戦前後に若い二人は結核で早世。
彰子は私より四歳上で二十七人の従姉弟の中の最年長。
この写真は私が二歳(昭和十三年)頃のものか?
 

父と私

 投稿者:吉田 正憲  投稿日:2009年 8月29日(土)16時09分58秒
返信・引用
  延次郎の家(小屋のような借家)の前で
 

ティートンとラッシュモア

 投稿者:吉田 正憲  投稿日:2009年 8月29日(土)00時22分41秒
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  昨夜「アメリカの町」の放映に気付き急遽10分遅れで録画。
懐かしい風景とその解説に感動。
 

親子三代

 投稿者:吉田 正憲  投稿日:2009年 8月28日(金)23時44分20秒
返信・引用
  祖母を囲む母と三人の叔母、そして私の妹と弟。
 

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