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素晴らしい画像を見つけました

 投稿者:渡部 進治  投稿日:2009年 6月 6日(土)23時04分16秒
  北条の粟井で毎日熱心にブログを書かれている有田さんのHPで素晴らしい北条の風景の動画を見つけました。是非ご覧下さい。神戸・渡部。
http://www.info-matsuyama.lg.jp/nt/top.html
 

連載開始

 投稿者:管理人  投稿日:2009年 6月 1日(月)22時29分17秒
編集済
  有峰書店という、かつて武蔵野地域を地盤に、地方史、歴史探訪ものを
精力的に生み出していた出版社がありました。ルーツ研究には必須の
『武蔵武士』横関英一さんの『江戸の坂 東京の坂』高浜虚子編『武蔵野探訪』
そして西村真次監修の『江戸深川情緒の研究』。それらが絶版のまま眠っています。
それらをなんとか復活させることはできないものだろうか、といことで
有峰書店新社のWEBで「歴史散歩道〜復刻の足音〜」というタイトルで
連載をはじめました。ぜひご一読の上、ご意見をお寄せください。
http://arimine.com/reprint01.html
 

正岡分類

 投稿者:管理人  投稿日:2009年 3月23日(月)14時07分34秒
  PDFでの送信、拝見しました。昭氏の立派な業績の一端を知りました。
ありがとうございました。
 

発見

 投稿者:正岡 徹  投稿日:2009年 3月23日(月)10時54分21秒
  大阪成人病センターの患者待合室で発見しました。ご自由におとりくださいと書いた棚に胸腺腫のパンフレットがあり、その中に最も広く使われている 正岡分類を示しますと書いてありました。国立がんセンターの出している冊子でこれは私の兄の正岡昭が10年ぐらい前に作ったものです。  

ありがとうございます。

 投稿者:呑舟  投稿日:2009年 3月 9日(月)02時46分4秒
  初めて公式な大伴姓に繋がったので、ほっとしております。

しかし何故、「内閣文庫」や、「東大史料編纂所」といった権威のあるところに所収されているにも拘わらず、愛媛県史は無視し続けたのでしょうか?

「伊予史談会」所収の大野系譜ばかりで、中世の大野家を語っているからちぐはぐな感がぬぐえなかった。しかも「大洲史談会」も早い時期に気がついているのに無視している。

裏をとる調査をしなかったから自信がなかったのかもしれない。

大野啓一さんの話は以前、管理人さんのHPで読まさせて頂きまして、異体字が刻された石に邪気を感じました。

大野直之は稀代の悪党のように四国では言われてますが、屋代島大野系譜は、兄直昌が竹原で死んだ時、生きながらえていて、密に兄の墳墓を弔いに行くとき、途中で難破して死んでしまったと、好意的に記している。屋代島大野系譜は一環して、直昌ら弟達を好意的に書いてある。弟直昌に追い出されたとは決して書いてはいない。大野直秀を悪く書いているのは、上川村大野系譜とそれを写した大野系譜のみである。しかも上川村大野系譜の整理者
大野直尚は江戸中期にわざわざ屋代島西屋代の大野家を来訪している。
この旅日記があるはずなのだが、まだ見ていない。

大野憲さんの所にはないらしい・大野ミツコさんの後継者がもっているみたいなのだが、よく分からない。露峰の貞一郎さんのとこかもしれない。小田・上川に伝わるものなのだが。
久万ではない。

大除城主大野直昌が目立つので久万町が中心と思っていたが、久万町からでてくくのは比較的新しい史料ばかりで、今回のように、戦国時代以前の史料は、最初の下向の地大津(慶長以降大洲)八多喜や、屋敷を構えた宇津、一族が分散始めた菅田、土居家に久万入道討ってくれと頼まれ、移り住んだ小田・土居あたりから出てくる史料のほうが鎌倉・室町の記述が
詳細である。久万高原町より、大洲市の古文書をひっくりかえしたほうが、より正確と思われる。

次は「笹が峠の合戦」が史実であったこと、を立証したい。
幸いにも明和7年の大洲・新谷藩大絵図に大野ケ原の古戦場一丁原の記述を見つけたので、
天正年間のこのあたりのホノギを丹念に探していけば、会見場所や双方の待機場所、奇襲を受けた場所、戦死者を葬った場所が特定できると思っています。
今の地図では全く参考になりません。

その次が余技みたいなもので、赤穂浪士の討入の武器の準備をした大坂の義商・天野屋利兵衛が、後直昌の妻となった、宇都宮家の娘が一条内政の胤を宿したまま、直昌に稼いで
大除城で、生んだ子、直常の孫、直治であることを証明したい。

忠臣蔵研究者には無視されているのだが、かれらは偏狭である。

これは語れば長くなるのでまたの機会に・・・
 

大野系図の連環

 投稿者:管理人  投稿日:2009年 3月 7日(土)13時59分28秒
編集済
  直昌異腹の兄、直秀の「怒りて中国に退く父子百七十八人能島村上掃部守武吉の預かり扶助となった」一族の記述から「屋代島移住」に調査の手を広げ、さらに直秀の父・利直の弟・直恭(あるいは泰のどちらか)の線から五十崎大野の家系図、それに加えて大洲菅田の大野系譜と連環していく。いい仕事をなさっていると、いまさら感服。その流れを一つにまとめるドキュメントを期待しています。ついでながら、今なお大除城の麓にすみ、大野直之こそ、真の後継者なり、霊所を守りつずけている大野啓一氏について、小生の一文がありますが、お読みいただいているでしょうか? 「久万地方の五輪塔」の調査で遭遇したものですが、確か妙な霊を感じたとおっしゃっていましたね。  

やっと見つけました、正統大野系図

 投稿者:呑舟  投稿日:2009年 3月 6日(金)18時32分17秒
  後世、度々、大伴朝臣大野を名乗るのに大伴姓からの出自が確認できませんでしが、
ようやく、見つけることが出来ました。

一つは古田村(五十崎町)庄屋大野家、大野利直の弟、五十崎・竜王城主大野(城戸)直泰
の流れの大野家系図。

今、一つは大洲菅田の大野氏に伝わる系譜であった。
ここらは、内閣文庫や東大史料編纂所にも所収されていた。

項目しかなかったので気がつかなかった。

古田大野家・菅田大野家系譜はそれぞれ、軍人・歌人である大伴旅人の子、大伴家持の弟、
高多麿から始まるとされている。

ここで大伴姓に繋がった。他の文献によると、大伴高多麿は父、大伴旅人が大宰府赴任中の
妾妻の子であるようである。よって生地は大宰府で後、京に戻る。

現在の愛媛県の県史において、大野家の出自はえたいがしれないか、よく判らないが通説と
なっている。
それは、現在、愛媛県内の郷土史家たちが見ていた大野系図が、大洲八多喜・祗園神社に
伝わったとされる、「珍丸本」上川村庄屋大野家に伝わった「上川村本」それの写しである
大洲上田大野家「上田本」どの大野家か分からぬが、伊予史談会蔵の「讃岐屋」本、リード
されてしまって、特に「上川村本」は「久万町誌」に殆ど無批判に掲載されてしまった結果
、近隣の町村誌もその記事を転載していった。肱川町誌はまるごと転載している。
こうして、大伴大野は、間違いで、嵯峨天皇説(後世の雀たちのさえずり)河野一族からの
別れとかの説が混在してしまった。

「珍丸本」「上川村本」「上田本」「讃岐屋本」「屋代島本」も
ほとんど、共通した間違いを起こしている。

高多麿の父大伴旅人、その父・安麿までの記述はすべての上記5本に出てくるのに、
その前を大友皇子(天智天皇子)に繋げてしまったことである。

これは善意に解釈すれば、代々引き継がれた家譜の冒頭部分が破れたかで失われ、初代が分からなくなり、音が同じ大友皇子につないでしまったか、後世、意図的に神別を皇別に書き換え河野家に対抗しようとしたのか、私は単純に前者と思われる。
上記5本の書き出しに出る、大友皇子・與多王・牟麿の3人は削除してしまえば、「古田村本」「菅田本」とほぼ同じになる。

大伴吉良喜(麿)が藤原純友の乱の副将として伊予に下向し、後、大洲八多喜に上陸し土着したのが伊予とのかかわりのはじめである。

上陸の場所に大伴家の氏神「祗園神社」を奉祭し、神紋「木瓜」を大伴家は家紋としているから、やはり二引両の追加は、足利高氏の多々良浜の合戦により足利二引両の拝領が今の大野家紋なのであろう。

大野 憲氏によれば、二引両を下にするのは、庶家で宗家は上に書くと教えてくれましたが
大野家以外の大伴末裔が二引は下に書いているので、返って変なことになってしまっている。

これは江戸時代の創作なのでしょう。なぜなら大野宗家は大野直昌で途切れていて、今に伝わるのはすべて庶家だからです。

ともあれ、なんとか見付かりました、正岡さんの助言、史料の提供のお陰です。
ありがとうございました。
 

親戚ですか?

 投稿者:好笑  投稿日:2009年 3月 6日(金)14時54分20秒
  東大阪市の、下の名前が喜美子さんという方が、知り合いの認知症のおばさんに訪問販売で着物をお譲りになったそうです。20万。
和服にしては、その方の年齢に不釣り合いなお品と価格で、少し意見させてもらいたいのですが、一族の方であれば黙っているつもりです。つもり。
どなたか心あたりございますか?
 

早速に有難う御座いました

 投稿者:渡部 進治  投稿日:2009年 2月24日(火)20時00分18秒
  早速のご返事を深謝申し上げます。前述の様に「司馬先生の<街道を行く<沖縄・先島>」で、我が「わたりべ一族」と「安曇族」の<海の民>の関係に興味が湧き、「柳田国男」や「折口信夫」「吉本隆明」等々の再読をと考えていた矢先に、本日機会を得て早朝から友人たちと、奈良「大神神社」への正式参拝をして参りました。古都「奈良」にも、河野一族や越智一族の鮮やかな足跡が数多くあり、興味が尽きません。又いろいろとご教示下さい。尚「風早記」は4部までプリントさせて戴きましたが大変な「超大作」です。早速「第5部」も今からプリントさせて頂きますが、いずれ御出版戴けるとあり難いですね。是非ご検討下さい。神戸・渡部。  

お久しぶりです

 投稿者:管理人  投稿日:2009年 2月23日(月)23時23分48秒
  渡部進治様
この時期に沖縄、それも八重山、石垣島とは羨ましい限りです。
リニューアルしたデザイン、貴兄を驚かせたとは、うれしいですね。
このところ、その線の研鑽に時間を費やしています。
「風早記」と改題し、第5部で「祖父母の客馬車時代」に筆を進めています。
粟井村と筑豊・直方を結ぶ「血族」の流転の時代。いささか
「大河小説」風に取り組んだところです。
また、上京の節には、声をかけてください。
 

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