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やっと見つけました、正統大野系図

 投稿者:呑舟  投稿日:2009年 3月 6日(金)18時32分17秒
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  後世、度々、大伴朝臣大野を名乗るのに大伴姓からの出自が確認できませんでしが、
ようやく、見つけることが出来ました。

一つは古田村(五十崎町)庄屋大野家、大野利直の弟、五十崎・竜王城主大野(城戸)直泰
の流れの大野家系図。

今、一つは大洲菅田の大野氏に伝わる系譜であった。
ここらは、内閣文庫や東大史料編纂所にも所収されていた。

項目しかなかったので気がつかなかった。

古田大野家・菅田大野家系譜はそれぞれ、軍人・歌人である大伴旅人の子、大伴家持の弟、
高多麿から始まるとされている。

ここで大伴姓に繋がった。他の文献によると、大伴高多麿は父、大伴旅人が大宰府赴任中の
妾妻の子であるようである。よって生地は大宰府で後、京に戻る。

現在の愛媛県の県史において、大野家の出自はえたいがしれないか、よく判らないが通説と
なっている。
それは、現在、愛媛県内の郷土史家たちが見ていた大野系図が、大洲八多喜・祗園神社に
伝わったとされる、「珍丸本」上川村庄屋大野家に伝わった「上川村本」それの写しである
大洲上田大野家「上田本」どの大野家か分からぬが、伊予史談会蔵の「讃岐屋」本、リード
されてしまって、特に「上川村本」は「久万町誌」に殆ど無批判に掲載されてしまった結果
、近隣の町村誌もその記事を転載していった。肱川町誌はまるごと転載している。
こうして、大伴大野は、間違いで、嵯峨天皇説(後世の雀たちのさえずり)河野一族からの
別れとかの説が混在してしまった。

「珍丸本」「上川村本」「上田本」「讃岐屋本」「屋代島本」も
ほとんど、共通した間違いを起こしている。

高多麿の父大伴旅人、その父・安麿までの記述はすべての上記5本に出てくるのに、
その前を大友皇子(天智天皇子)に繋げてしまったことである。

これは善意に解釈すれば、代々引き継がれた家譜の冒頭部分が破れたかで失われ、初代が分からなくなり、音が同じ大友皇子につないでしまったか、後世、意図的に神別を皇別に書き換え河野家に対抗しようとしたのか、私は単純に前者と思われる。
上記5本の書き出しに出る、大友皇子・與多王・牟麿の3人は削除してしまえば、「古田村本」「菅田本」とほぼ同じになる。

大伴吉良喜(麿)が藤原純友の乱の副将として伊予に下向し、後、大洲八多喜に上陸し土着したのが伊予とのかかわりのはじめである。

上陸の場所に大伴家の氏神「祗園神社」を奉祭し、神紋「木瓜」を大伴家は家紋としているから、やはり二引両の追加は、足利高氏の多々良浜の合戦により足利二引両の拝領が今の大野家紋なのであろう。

大野 憲氏によれば、二引両を下にするのは、庶家で宗家は上に書くと教えてくれましたが
大野家以外の大伴末裔が二引は下に書いているので、返って変なことになってしまっている。

これは江戸時代の創作なのでしょう。なぜなら大野宗家は大野直昌で途切れていて、今に伝わるのはすべて庶家だからです。

ともあれ、なんとか見付かりました、正岡さんの助言、史料の提供のお陰です。
ありがとうございました。
 
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