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親戚ですか?

 投稿者:好笑  投稿日:2009年 3月 6日(金)14時54分20秒
  東大阪市の、下の名前が喜美子さんという方が、知り合いの認知症のおばさんに訪問販売で着物をお譲りになったそうです。20万。
和服にしては、その方の年齢に不釣り合いなお品と価格で、少し意見させてもらいたいのですが、一族の方であれば黙っているつもりです。つもり。
どなたか心あたりございますか?
 

早速に有難う御座いました

 投稿者:渡部 進治  投稿日:2009年 2月24日(火)20時00分18秒
  早速のご返事を深謝申し上げます。前述の様に「司馬先生の<街道を行く<沖縄・先島>」で、我が「わたりべ一族」と「安曇族」の<海の民>の関係に興味が湧き、「柳田国男」や「折口信夫」「吉本隆明」等々の再読をと考えていた矢先に、本日機会を得て早朝から友人たちと、奈良「大神神社」への正式参拝をして参りました。古都「奈良」にも、河野一族や越智一族の鮮やかな足跡が数多くあり、興味が尽きません。又いろいろとご教示下さい。尚「風早記」は4部までプリントさせて戴きましたが大変な「超大作」です。早速「第5部」も今からプリントさせて頂きますが、いずれ御出版戴けるとあり難いですね。是非ご検討下さい。神戸・渡部。  

お久しぶりです

 投稿者:管理人  投稿日:2009年 2月23日(月)23時23分48秒
  渡部進治様
この時期に沖縄、それも八重山、石垣島とは羨ましい限りです。
リニューアルしたデザイン、貴兄を驚かせたとは、うれしいですね。
このところ、その線の研鑽に時間を費やしています。
「風早記」と改題し、第5部で「祖父母の客馬車時代」に筆を進めています。
粟井村と筑豊・直方を結ぶ「血族」の流転の時代。いささか
「大河小説」風に取り組んだところです。
また、上京の節には、声をかけてください。
 

久しぶりに拝読致しました

 投稿者:渡部 進治  投稿日:2009年 2月23日(月)09時43分27秒
  昨年末に完全退職しましたが、ご挨拶回りや旧友との再会等々でバタバタし、先日やっと「司馬遼太郎さんの<街道を行く/沖縄・先島への道>」を片手に、積年の沖縄八重山へ行き、石垣島で10日間ほどスローライフをして参りました。帰宅して当HPを久しぶりに拝見したら表紙が劇的「?」に変わっているのでびっくりしました。私共メルマガの素人には大変判り易くなっている様に感じました。それにしても驚くべき多方面へのご活躍ぶりで、そのIT技術を駆使されたご執筆や編集「ご専門家の貴兄様には大変失礼ですが」は、本当に羨ましいかぎりです。これからゆっくり楽しみに拝読いたします。  

ありがとうございます。

 投稿者:呑舟  投稿日:2009年 2月 9日(月)01時32分42秒
  「丸菱に五三桐」ですか?
由来は何なのでしょうね。
得居家は河野一族とされてますよね。「折敷縮三文字」は使っていないのですね?
どうも、河野末裔とされている氏族も源流が違う可能性がでてきました。

コテコテの河野支族とされる得能氏も「折敷縮三文字」ではないし、
やはり、越智氏と河野氏は別流の感じがする。

越智はやはり大山祗の大祝系に匂いがする。

河野氏は大山祗神社の氏子から発展した感じがする。

南明禅師が悩んで、複数の先祖を羅列して、結局後世に真実探求を託さざるを得なかった
のも分かる気がする。

小倉家の木瓜紋使用は、普代の重臣か大野家の一門かのどちらかの可能性が高くなりましたね。

一昨日、郷土史家の大野 憲氏から手紙が来て、

「大野家家紋は(木瓜二引両)に間違いないが、宗家は二引きを上に付け、庶家(分家)は
二引きを下に付ける」とありました。

正岡さんから以前送って頂いた写真が紋入り汁椀の二引きが上に付いていた時、違和感を感じましたが意味がわかりました。

しかしながら、この解説は「大野直昌の甥の壽慶が書いた手紙に記されている」と、江戸時代の「大洲随筆」に書いてあることを、大野憲氏は根拠としていますが、私は元来の紋とは違うと見ています。

元来は大野の前姓「冨永」氏がその前姓の大伴氏の木瓜紋に、九州多々良浜の合戦における
戦功により、足利尊氏から足利二引両を拝領し従来の木瓜紋の下に二引きを付け加えたものが正しいとおもいます。

大野直昌が竹原で逝去したのちの子孫の一人が宗家と権威つけるための「工作」と思われます。この工作した人は、木瓜紋も由来と二引両の由来を知らなかったものと思います。
下に二引きを付ける同族、「大伴姓冨永氏」等が全国に伝播していることを知らなかった
と思われます。
ましてや、直昌の本来の嫡男、直載が廃嫡され、後妻の宇都宮の女が生んだ子、直常が、親族会議の結果、大野家惣領に位置つけられたことも認識していない。
この甥が直昌兄弟の誰の子か分からない。


嫡流と思い込んでいる、「上川村大野家」も直昌の妾が産んだ子の系統であるから庶家となる。
どうも色んな混乱が大野家に伝わっている。

伝統的嫡男の直載は大坂の陣で討ち死にし、お家制度上の惣領直常は、直昌死後、松山の河野家ゆかりの天徳寺で養育されたのち、大坂の「天野屋」に連れていかれ、同家を継ぐ。とある。

この大坂平野町の天野屋利兵衛直常の孫が「赤穂浪士」の討入の時に武器を調達した。天野屋利兵衛直之と睨んでいます。
 

遅くなりました

 投稿者:管理人  投稿日:2009年 2月 8日(日)22時27分12秒
  呑舟さん

正岡神田の得居家の家紋は「丸菱に五三桐」でした。久万・小倉丹後守系のそれは、

ご指摘のように「木瓜紋」で、大野一族のそれでしょうかね。

大西・越智旗頭の「予章記」は南明禅師の「長福寺本」に拠った流布本の一つ

かと思われます。
 

今治 予章記

 投稿者:呑舟  投稿日:2009年 2月 8日(日)10時22分50秒
  越智秀臣さんの予章記は、上蔵院本や長福寺本と内容が違いますでしょうか?

孝霊天皇を祖として始まるものでしょうか?
 

しばらく、時間を

 投稿者:管理人  投稿日:2009年 1月29日(木)19時25分8秒
  呑舟さん
相変わらず、熱心に研究をつづけられているのに、感服です。
いろいろと当HPを閲覧いただいたようですね。ありがとうございます。
「予章記」については、ここ2年ほど、今治市大西町の旗頭・越智秀臣さんのもとへ伺って、所蔵のものを撮影させたもらっています。御希望なら、その旨、おっしゃってください。得居、小倉家の家紋については、これから確認してみます。しばらく、時間をください。
 

得居家の紋は?

 投稿者:呑舟  投稿日:2009年 1月29日(木)19時02分54秒
  HPに掲載されている得居家累代の墓の紋は何ですか?
得居家も河野一族と認識していましたが、「折敷縮三文字」ではないように見えますが?

叉、小倉丹後守系の霊代簿の上に写っているのは家紋でしょうか?
大野の木瓜紋が使われているようなので、大野四十八家以上の関係があったのでしょうかね?
 

訂正

 投稿者:呑舟  投稿日:2009年 1月29日(木)06時12分57秒
  「叉設楽は後西園寺氏と同族となっており、伊予ともからんでくる」

兵頭の間違い削除します。
 

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