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大野経帯刀は大野直之系もしくはそのグループかもしれない。
現在なんとか見れる大野系図ではない可能性が高い。
大洲菅田城に大野直之の子孫を名乗る大野幾雄なる人物が平成元年11月に建立した墓碑
がある。
この人物がいまどこにすんでいるか分からないが、幾雄氏が所有する古文書もしくは系図に
手がかりがあるような気がします。
大野直之は稀代の反逆児として没年も色々と語られています。
没年と戒名がよく分からない人物です。
前述の直之から数えて14代目と言われる大野幾雄氏建立の墓碑には戒名を「高徳院殿
徹山是心大居士」となっており、珍丸本大野系図は「明岩院宗高」(文禄元年(1592)2月20日卒)、上川村大野系図は「眞心院殿圀行道智大居士」(天正13年7月7日卒)」
「州城要輯」の大野直之の墓の条には本願寺の位牌に「雲月忠公大禅定直心院殿圓行道智居士」とあり上川村系図に似ている。
しかし上川村系図は大野直昌の直系ではなく庶子系系図であるから、直之系が別途あっても
おかしくない。
別に直之の主家、大洲宇都宮家に残る系図には、江戸後期より盛んに大伴姓を名乗る大野家との婚姻が繰り返されている。
後世、史家が、家老大野直之が主家の宇都宮家を乗っ取ったというのは嘘で、やはり直之が娘婿として平和裏に家が引き継がれたことを子孫は知っていて婚姻を繰り返したのではなかろうかと思われる。この家が直之系か直昌(重)系かは現時点ではわかっては居ませんが。
もし正岡さんが現地につてがおありなら[大野幾雄氏]宅に系図か古文書が残っていないか
調べることはできませんでしょうかね?
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